島根の司法書士、坂根(@sakane0958)です。
「鹿の王」という小説の紹介です。
2015年の本屋大賞受賞作
これまでの本屋大賞 | 本屋大賞
『鹿の王』 上橋菜穂子(著) KADOKAWA 角川書店 383点 …
2015年本屋大賞受賞作 『鹿の王』 383点(2位は310.0点)
まず客観的な評価として、本屋大賞を受賞している作品ということで、中身が面白いことは保証済み。
折り紙付きというわけです。
Amazonのあらすじでは、なかなか読みたいと思えなかった
Amazonのあらすじ上、下を載せます。
強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団“独角”。その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるが―!?厳しい世界の中で未曾有の危機に立ち向かう、父と子の物語が、いまはじまる―。
不思議な犬たちと出会ってから、その身に異変が起きていたヴァン。何者かに攫われたユナを追うヴァンは、謎の病の背後にいた思いがけない存在と向き合うことになる。同じ頃、移住民だけが罹ると噂される病が広がる王幡領では、医術師ホッサルが懸命に、その治療法を探していた。ヴァンとホッサル。ふたりの男たちが、愛する人々を守るため、この地に生きる人々を救うために選んだ道は―!?
あらすじが、とっつきにくい
この本が話題になってから実際に自分が読み始めるまでに、それなりの間がありました。
その理由の一つにあらすじのわかりにくさがあったと思います。
読み終わってこのあらすじを見ると、確かに書いてあることは間違っていません。
でも、このあらすじでは読みたい気持ちにならなかったのです。
鹿の王は架空の世界で展開される物語なので「世界観を理解するのが面倒臭そう」と思ってしまったのでしょうね、きっと。
でも、世界観は読んでいくうちにだいたい入って来るので、それほど苦労しないと思います。
鹿の王の魅力
いきいきとした生き物達の躍動感
飛鹿(ピュイカ)という人を乗せて山を疾走する鹿や、ロチャイという黒狼と山犬の雑種でものすごく敏捷で賢い犬の群れ。
主人公のヴァンが飛鹿に乗って疾走するシーンや、ヴァンがロチャイの群れと見えない光の糸で繋がって走るシーンなど、美しく躍動感あふれる描写はこの本の見所のひとつです。
戦争・政治と病原菌・免疫 マクロとミクロを一つの物語で語る
国同士の政治的な駆け引きのようなマクロな話を背景として、人体の免疫とウィルスというミクロな世界をテーマに物語が進んでいきます。
あとがきにも書かれているように、これはこの物語の一つのテーマでもあるようです。
『鹿の王』の場合は、「人は、自分の身体の内側で何が起きているのかを知ることができない」ということ、「人(あるいは生物)の身体は、細菌やらウィルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場でもある」ということ、そして、「それって、社会にも似ているなぁ」ということ、この三つが重なったとき、ぐん、と物語が生まれでてきたのでした。
(鹿の王 (下) Read more at location 6400)
オタワル人はユダヤ人がモデル?
物語の中で、こんな下りがあります。
「オタワル人は、この世に勝ち負けはないと思っているのよ。食われるのであれば、巧く食われればよい。食われた物が、食った者の身体となるのだから」
(鹿の王 (上) Read more at location 3367)「〈諸国を活かし、自らも生きよ〉って言葉があるけど、私たちは何百年も、そういう風に生きてきたわけ」
(鹿の王 (上) Read more at location 3370)それは、まさしくオタワル人気質だ。王国という身体が滅びても、別の王国の体内に入り込んで生き延びる。よほどの才覚と覚悟がなければ難しい生き方だろうが、オタワル人はそうやって、したたかに生きてきたのだ。 ミラルは自分の茶碗にも茶を注ぎながら、つぶやいた。 「他者を生かすことで、自分も生きる。他者を幸せにすることで、自分も幸せになる」 それは、祈りのように聞こえた。
(鹿の王 (上) Read more at location 3372)
これを読んで私は、オタワル人はユダヤ人や華僑がモデルなのかな、と思いました。
「食われるのであれば、巧く食われればよい。」をGoogleで検索してみましたがヒットしなかったので、実在するユダヤのことわざでは無さそうです。
作者の作ったことわざなのでしょうね。
ツオル帝国という勢力拡大中の国が出てきますが、これもモンゴルとか中国あたりがモデルなのかな、と思わせるのですが、どちらともイコールではないのでしょう。
オタワル人もツオル帝国も、イメージを掴むのにそれぞれのモデルを連想するのはアリだけれども、作者の描くそれぞれの設定を楽しんだ方が物語に没頭できるのかな、と感じました。
獣の奏者との共通点
獣の奏者から上橋菜穂子を知った私は、その後に鹿の王を読んでみて、否が応でも共通点が目に付きました。
生き物への深い洞察、愛
獣の奏者の主人公エリンは、「獣ノ医術師」といういわば王獣や闘蛇の飼育についてのスペシャリストです。
戦争の道具として、本来の生態とは異なる形に成長や生殖をコントロールされ、歪められる王獣や闘蛇の姿に苦悶するシーンがよく出てきます。
その一方で、野生の王獣や闘蛇が輝かしく躍動するシーンも美しく描写されていて、それゆえにエリンは飼い慣らされた獣に哀れを感じたり、ありのままの獣の姿に憧れを感じたりします。
鹿の王に出てくる飛鹿についても、主人公のヴァンが似たようなことを考えるシーンがありました。
作者にとって、獣と人間の関わりというものが大きなテーマの一つなのだと感じます。
国、政治、歴史、戦争
これは作者の上橋菜穂子さんが文化人類学専攻であることによるところが大きいのでしょうが、国と国とのにらみ合いの構図だとか、戦争に到る背景だとか、それぞれの国の文化の描写だとかが大変面白いです。
西洋文化、東洋文化、イスラム圏等々を連想しながら面白く読めました。
これは、現実世界の国や文化と完全にイコールではないところが逆にいいのかな、と思ったりします。
変な先入観無く、文字情報だけからイメージを紡いでいくことができる。
ただ、普通名詞に到るまでファコだとかオキラプタだとか聞き覚えのない単語がたくさん出てくるので、そこは慣れるまで大変です。
私は鹿の王を数日かけて読みましたが、途中でしばらく中断がありました。
再開した時にはそういう単語の意味が思い出せず、少々戸惑ったのを思い出します。
大きな支障がないことも多いですが、可能なら、上橋菜穂子作品は一気に読んでしまうのがオススメです。
上橋作品はファンタジーの味付けがちょうど良いのだろうと思う
獣の奏者も鹿の王も、現実世界を舞台にしていないために「ファンタジー」に分類されるのですが、魔法が出てきたりはしませんし、登場人物は基本的に人間です。
架空の動物が出てきたり、この世界には存在しない架空の国が出てきたりするところが、ファンタジーにせざるを得ない部分でしょう。
上橋菜穂子は児童書作家に分類されることもあるそうですが、獣の奏者や鹿の王が子供向けかと言われると、そうではないと思います。
むしろ大人が読んでこそ面白い作品でしょう。
「ファンタジー」という分類のみをもって、これらの作品が食わず嫌いされているとしたら、もったいない。
なぜ「ファンタジー」部分が必要なのか、私は「作者が制約無しに描きたい物語を描くため」ではないかと推測しています。
実在する獣を使うと、どう描写しても現実のイメージに引っ張られる部分があると思いますが、架空の獣であれば神話のような神々しさをまとったイメージを読者に描かせることができるでしょう。
また、実在の国を持ってくると、様々な文化の正確な理解が必要になるでしょうし、政治的な問題にも配慮が必要かもしれません。
特に文化の理解については、上橋菜穂子さんは文化人類学を専攻しているということなので、逆に下手なことは書けないという思いに足を引っ張られてしまうのではないか。
架空の国だと、そういう制約を気にせず、頭に浮かんだままを物語にできるのではないか。
いや、全部勝手な推測ですけどね。
編集後記
いろいろ検索していたら、あとがきに関連してこんなロングインタビューを見つけました。
上記のAmazonのあらすじよりは書籍の内容に興味が持てるかと思います。
ここまで読んできて、もう少し鹿の王や上橋菜穂子について知りたい方は目を通してみると参考になると思います。
生命と医療への思索が「鹿の王」を生んだ | 医療プレミア特集 | 奥野敦史 | 毎日新聞「医療プレミア」
体と社会−−自分の内側は見えないという共通点 …
”体と社会−−自分の内側は見えないという共通点”
最後にもう一度、書籍紹介しておきます。
獣の奏者と鹿の王で、私はすっかり上橋菜穂子ファンになりましたので、次は精霊の守り人シリーズを読んでみようかな、と検討中です。
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獣の奏者エリン – 大人が読んでもハマる小説、「21世紀のハイジ」を目指したアニメ | 流れるような一日を
獣の奏者エリンはたまたまアニメを見始めて、小説も読んでみたら、小説の方が大変面白かった、という作品でした。
今回紹介した鹿の王は、獣の奏者と同じ作者でなければ、読まずにいたかもしれません。
獣の奏者は、子供と一緒に楽しむのならアニメを、大人が自分で楽しむのなら小説をオススメします。
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