ああ、僕は場面緘黙症だったのか、と知ってラクになった話

2021年1月27日のこと、他のことを調べていてたまたま「場面緘黙症」という言葉を知った。これはもしかして自分にも関係することでは?と思いながらWebの情報を漁り、当事者の体験記をいくつか読むうちに「この人達の体験したことは、ほぼ自分のことだ。メッチャ共感する。自分には少なくとも場面緘黙症の傾向がある。」と思うに至った。

調べていくにつれて、自分の性格だと思ってきた生きにくさみたいなものが言語化されて、いろんなことが繋がった。心がラクになった。
自分の性格だったり、努力が足りないだったりではなくて、人口の0.数パーセントで存在する類型であるということ。
どのように克服していくべきなのか、知見が存在しているということ。
つまり場面緘黙症は、男に生まれた、女に生まれた、背が高い、背が低い、そういうある種の先天的な型の一つに過ぎない。
そして世の中に同じことで悩んでいる人がたくさんいるということや、自分の怠慢だけでこうなっているのではない、ということが救いになるのだと思う。

自分のように大人になってから「場面緘黙症」という概念を知ったという当事者も多いようだが、潜在的に悩んでいる当事者、保護者も現在進行形で多数いると思うので啓蒙、事例紹介として自分のことを書いてみる。

場面緘黙症とは

場面緘黙症とは、ある特定の場面・状況でだけ話せなくなってしまう症状のことである。
子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。
脳機能そのものに問題があるわけではなく、行動面や学習面などでも問題を持たない。また、強い不安により体が思うように動かせなくなる緘動(かんどう)という症状が出る場合もある。単なる人見知りや恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があるという点である。

ウィキペディア(Wikipedia) 場面緘黙症 症状より

おそらく、この定義だけを読んでも、たいていの場合は自分が場面緘黙症当事者かどうかは判断がつかないと思う。

「もしかしたら自分もそうなのかも?」と思う人は、ぜひ当事者の体験記を読んでみて欲しい。
該当するなら「これは自分のことだ」と思うだろうし、そうでないなら「こんなハードモードの人生を生きている人もいるのか」と勉強になるだろうと思う。
そしてそういう方に理解を示してもらえると嬉しい。

場面緘黙症当事者の体験記

男女それぞれの体験記を紹介する。
ご自身と同じ性の当事者の体験記から読んだ方が、わかりやすいだろうと思う。

男性当事者:あなたの隣の話さない人-緘黙(かんもく)って何?- 北野慶

著者のエピソードの中に

自閉症?――言葉づらからまっさきに思い浮かぶその単語を調べてみると、自分の症状とは共通するところがありませんでした。

という下りが出てくる。
実は自分も高校生の頃だったと思うが似た体験をしていて、親に「自分は自閉症じゃないのか?」とこぼしたことがある。
それを受けて親が知人のお医者さんに相談したところ「全然違う」と言われた。

当事者が思いつくこと、行き着く先は同じようなところへ行くんだな、と思った。

女性当事者:かんもくの声 入江紗代

Kindle版が出ていないので紙の本で少しずつ読み進めたのだが、気になったところのページの隅を折っていくとかなりのページに折り目がついた。

著者自身のことを「場面緘黙グレーゾーン」と表現している。
自分も全然しゃべれないわけではなかったので、同じ分類に当てはまると思う。

肉まんバレンタイン」という呼びかけを主催されていたのだが、この活動もものすごく共感するところである。
コンビニでカゴに入れた商品をお会計してもらうことは、場面緘黙症当事者でも抵抗なくできる人が多いが、店員さんに声をかけねばならない肉まんは一気にハードルが上がるのだ。
本当は肉まんも注文したいと思っていても、ハードルの高さから諦める、ということを多くの場面緘黙症当事者が経験していることを踏まえてのキャンペーンだと思う。

店員への注文に関連して自分の経験から一つ類似の話を挙げると、吉野屋と松屋なら松屋一択となる。
味はどちらかといえば吉野屋の方が好みだが、食券システムかどうかが致命的な分かれ目。
牛丼チェーンで食事をするのは気軽に食事を済ませたいからなのだが、声で注文するとなると面倒臭さのハードルがかなり上がる。

マンガ2冊 モリナガアメ(女性当事者)

活字が苦手だったり、まとまった時間が取れないが場面緘黙症の概要をまず知りたいという向きにはモリナガアメさん(女性)のマンガ2冊がオススメ。
場面緘黙症の啓蒙という目的があって描かれているので、概要と当事者の困りごとを理解するのに充分な内容になっていると思う。

かんもくって 何なの!?: しゃべれない日々を脱け出た私 モリナガ アメ

話せない私研究: 大人になってわかった場面緘黙との付き合い方 モリナガ アメ

場面緘黙症を踏まえた自己分析

自分の声にコンプレックスがある

自分の声は通りにくいと思っていて、声を出すことに子供の頃からコンプレックスがあった。
実際に物理的に通りにくい声なのかどうかはわからないのだが、そういう引け目を感じていることで「声を出して、相手に気付いてもらえなかったらどうしよう」という不安・自信の無さから声が小さくなる、という悪循環に陥るパターンがあった。

音痴であることもコンプレックスに拍車をかけたと思う。曲の音程はある程度わかっているつもりなのだが、楽器としての声帯の使い方がサッパリ掴めていないと思う。
ゴルフとかもそうだが、大まかな身体の動きはコントロールできるが、細かい動きは運ゲーだという感覚がある。
身体の操縦、特に細かい動きに苦手意識が強い。

話しかけるのが絶望的に苦手

また、自分から人に声をかけるということが絶望的に苦手だった。
「こういうときにはこういう言葉で話しかければいいんだろうか?」ということを延々考えて動けなかったり、上記の声の問題も脚を引っ張ったりしていた。
「いきなり自分なんかに話しかけられたら、びっくりするだろうな」と思うと、できるだけ不自然でない言葉で話しかけねばならない、と考えていたように思う。

人との接触は基本的に受動的なスタンスをとることが多くて、能動的にこちらからアクションを起こすことがとても苦手。
不可能ではなくても、ものすごくエネルギーを要する。

人間関係においては、適切な距離感を把握しつつ距離を縮めながら関係を構築していくことが苦手。
これには、学生時代にコミュニケーションを断って生きてきてしまったことによる経験不足も大きく影響していると思う。
学校の休み時間には「話しかけないでオーラ」を出しながら読書をしたり、小テストの勉強を一生懸命していたりした。
そのツケを今払いながら仕事やらの中で学んでいる最中、と認識している。

とはいえ、仕事における人間関係では求められているサービスを想定される水準で提供できれば最低ラインはOKなので、異性と長期的な関係を結ぶだとか親友を作るだとかに比べると断然難易度は低く、若いころの自分が感じていた悩みや葛藤からすると大した話ではない。

電話もとても苦手

今でもお客さんとかに電話をかけるときには、事前に話す内容を箇条書きにして整理してからかけることが多い。
自分が電話が嫌いなので、整理せずにグダグダした電話で時間を取ってしまったら申し訳ないと思うから。
あとは電話をかけるのを少しでも先延ばしにして心の準備をしている、という深層心理もあるかもしれない。

ただ、世の中の大半の人はそこまで考えずに気軽に電話を道具として使っているということも知ってはいる。
学生の頃の自分も、深く考えずに思ったことを口に出し、思ったように人に話しかけていれば、「普段しゃべらない人が珍しく話しかけてきた」という状況にならず、もっとコミュニケーションが楽なものになっていたのだろうとも思う。
そのせいで、たまに変なことを口走ってしまったとしても。

知っていることと、そのように動けることとの間には越えられない壁がある、ということが場面緘黙症の一つの特徴、そして困難としてあると思う。

場面緘黙症の診断は受けていない

なお、自分は場面緘黙症の診断は受けていない。
当事者の体験記にも、診断を受けていないが自分は場面緘黙症である、という前提に立って書かれているものがある。

そういう事例が多いのは、大人になってから場面緘黙症だったと知った場合には、今さら診断を受けることへの必要性が少ないことが一つあると思う。
どうにかこうにかではあれ、これが自分のやり方だ、というしのぎ方が確立しているだろうし。

一方、子供が当事者で、これから親子で乗り越えていく必要がある場合には、専門家の診断を受けることは検討する価値があるだろうと思う。
たまたま自分のように大人になるまでに改善することもあるが、何らかの補助、介入した方が予後が良いケースもあるらしい。

自分の症状の重さとしては、話せない状況に再現性は無かったし、日常生活に困難が発生するというほどのことではなかったので「場面緘黙症の傾向がある」というところに留まると思う。グレーゾーン。

とはいえ、それは自分の環境がラッキーだったためにどうにかオオゴトにならずにやりすごせただけのことで、環境によってはそこに留まらなかった可能性も充分にあると思う。
克服できたのはたまたまラッキーだっただけかも、とは思っている。

場面緘黙症の観点から見た自分の環境

自身の「ラッキーだった環境」というのを参考までに紹介しておく。

学生時代

ど田舎だったので、小学校・中学校は1学年1クラス20名(9年間クラス替えが無い)。さらに、そのうち半分は保育園時代から一緒。

高校でも3年間クラス替えの無い科で、小中の同級生が一人いた。
そして中学校からの塾の同級生が何人かいた。
そういう環境を選んだというよりはたまたまそうなったのだが、多感な3年間を過ごすことになる高校の環境としては、とてもラッキーだった。

小学校・中学校は勝手知ったる面々だったのでイジメをそんなに心配したことは無かったが、高校ではイジメが本当に恐怖だった。
何せ、ターゲットになったとしたら、自分だけでそれをはねのける方法が全く見えない。
自意識過剰な年頃でもあったし、親や先生に相談するという選択肢も全く考えてはいなかった。

小中の同級生の彼と高校3年間同じクラスだったのは僕にとって、とても幸運だった。
彼はクラスの中心近くに居り、僕はクラスメイトからは暗いヤツと思われていただろうが、孤立することも無く彼のグループの輪に入れてもらえていた。
危うく不安定な高校生の人間関係の中で大きなトラブルもなくどうにか高校生活を送ることができたのは、この幸運によるところが大きかったと思っている(ちなみに、そのクラスの中で事実として特段陰湿なイジメがあったと認識しているわけではない。ただ、イジメは未成熟な人間が集まる社会の中で、いつどこででも起こり得ることだと考えている)。

高校卒業後は一年浪人して大学に進学した。
大学での友人作りは不安でしかなかったが、最初に声をかけてくれたクラスの友人が紳士で、彼の属する穏やかなグループに属する形になった。

大学生になってからは、高校までとは違って人間関係が流動的というか、クラス以外にもサークル活動の人間関係があったり、固定された人間関係の中で居場所を考えるというよりはもう少し緩やかな複数の人間関係の中をゆったり泳いでいくような感じに移り、心理的にかなりラクになったと思う。
場面緘黙症の当事者の試練としては、学生時代、特に高校までのクラス内の人間関係をどうやりすごすのか、というところがとても大きいと思う。
多くの場合、高校までをやり過ごせれば一息つけるのではないか。

肩書きが鎧になる(ことがある)

そのようにして、学生時代に自分からの発話が難しいにもかかわらず、イジメの対象になったりしなかったのはラッキーだった。

社会人になってから、特に司法書士試験に合格して司法書士と名乗るようになってからは、肩書きに守られているのかも、と感じたことが何度かあった。

社会人になって最初の職場で「ビジネスの場で相手から何か問われて、沈黙はあり得ない。最低限、何かを話せ。」というアドバイスをもらったことがある。
それは確かにそのとおりで、社会人がこれをやってしまうと舐められるだろう。
頭ではわかっていても似たようなことをやらかしてしまうことが今でもたまにあるのだが、相手が勝手に「もしかして深い考えがあって、この人はしゃべらないのかもしれない」と思うのか、あからさまに見下した態度を取られることは無かった。
これについては、学歴もお守りになっているかもしれない。

もちろん、マウントしてくるような人が全くいないわけではないが、例えば仕事で関わる初見のお客さんだったり、いわゆる行きずりの関係であることが多い。
そういう人にとっては、司法書士としての自分は代替の効く選択肢の中の一つにしか過ぎないということだ。
お互いに、世の中にはいろんな人がいる。多様性なのだと思う。

ちなみに、最初そういう態度であっても、やり取りを続けていくうちに信頼関係ができてきてお互いちゃんとしたやり取りができることになることがほとんどである。
もしこの人から次回の仕事が来たとしたら何としても断ろう、というような最後まで合わないお客さんはほとんどいないので、一応申し添える(補助者時代含めた13年間で2人だけ)。

もし勉強が得意であれば、弁護士、医師等々、世間から一目おかれる資格を取るということは場面緘黙症当事者にとって一つの活路になるかもしれない。
「頭が良い人は変わり者が多い」と世間の人は思っているので、少々やりとりがぎこちなくても「この人はちょっと変わった先生なんだな」という感じで問題が小さくなる。

ただ、弁護士も医師も司法書士も、人と話すことが仕事の中の大きな割合を占めることがあるので、自分の症状を踏まえて資格を取った後にどういう働き方をしたいのか、というところまでイメージしておいた方が良いと思う。
弁護士、医師は言うに及ばず、司法書士であっても人生を賭けるレベルで勉強しないと受からないので、資格を取った後に「こんなはずじゃなかった」となってしまって、せっかくとった資格が活用できないのはあんまりなので。

編集後記

「もし場面緘黙症傾向でない人生を選べるとしたら、そっちの人生が良かったか?」と思うかというとそうでもなくて、こういう性格も含めて自分のアイデンティティとなっているので、今さらそうでない人生は考えられない。
場面緘黙症当事者の方でも、同様に考える方は多いようだ。

自分には年子の弟がいるのだが、彼は気後れせずに僕の同級生なんかともナチュラルに仲良くできる性格で、僕より器用で要領も良くて、それをうらやましいなと思うことはあった。
ただ、性格含めて人生を取り替えたいかと言われればそれは明確に違う。それは多分隣の芝生が青く見えるという話なんだと思う。
面倒臭くて生きにくくても回り道が多くても、自分は自分の歩んできた人生が良い。

今では少し面倒臭さを押さえ込めば肉まんも注文できるし、飲食店で注文のために店員さんを呼ぶこともできる。
松屋より吉野屋が近ければ、吉野屋に入ることもできる。
場面緘黙症克服のセオリーとしてスモールステップが勧められているが、場数を踏むことでハードルが低くなっていく。
一つの当事者の事例として、誰かの希望になればいいなと思う。

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[いじめ]月報司法書士のいじめ特集が興味深い

この記事の編集後記でイジメがすごく怖かったと書いているが、自分の力でコントロールできない外部の脅威が怖いのは当たり前だよな、と今となっては思う。
場面緘黙症当事者は喰い者にされやすい側面もあるので、場面緘黙症という概念が少しでも知られるようになり、適切な対応が受けられるようになると良いと願う。

[夫婦]私の結婚観・お見合い結婚の是非について

女性とのお付き合いについて、若い頃から切望していたし渇望があった。
しかし、人との距離の詰め方が苦手と書いたように、異性関係では悩みと失敗しか記憶に無い。
男性の側からアクションを起こすしかないという現実は理解していたので、無謀と思いつつチャレンジはしていた。
ただ、撃たぬ鉄砲は当たらないとはいえ、現実を踏まえていない特攻にしかなっていなかった。
見た目が優れているわけでもなければ、コミュニケーションもたどたどしいわけで。
友達として仲良くしてくれていた女性を好きになっては特攻する、という一つの負けパターンがあって、「女友達」が存在した時期というのがほとんど無い。

女性との関係において、最初で最後の成功例が妻とのお見合い。
別々の場にいた自分と妻のそれぞれを知っている弟が「会ってみたら」と提案してくれて実現したもの。
場面緘黙症当事者にとっては、自然恋愛はハードモードになりがちで、自分をよく知る人間が紹介してくれるお見合いは効率が良いのではないかと思う。

なお、この記事を書いたのが2013年頃。
今年で結婚は14年目を迎える。

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