島根の司法書士、坂根(@sakane0958)です。
若い頃に私が大きな影響を受けたマンガ2作とゲーム1作をご紹介します。
ゲゲゲの鬼太郎 「どうにかなるさ」
ゲゲゲの鬼太郎との関わり
就学前から小学生くらいの間に、マンガのゲゲゲの鬼太郎を繰り返し読みました。
今にして思えば、少々大人向けのマンガだったな、と思いますが、こういう価値観に触れる機会があって良かったな、と思います。
また、自宅にビデオがあって「マンモスフラワー」「怪自動車」が入っているものを繰り返し観ました。
これは就学前に何回も観たと思う。
調べてみたところ、これはアニメ第2シリーズのものらしい。
どれくらいハマっていたかというと、「髪型を鬼太郎カットにする!」と言って親を困らせるくらい。
目が悪くなるからダメ、となだめられたのを覚えています。
家の近くに妖怪ポストが欲しかった。
昔の鬼太郎は良い子ちゃんではなかった
マンガの原作の鬼太郎は、実は最近のアニメの鬼太郎ほど良い子ちゃんではありませんでした。
浮浪児みたいなところがあってハングリー。
「最近のアニメの鬼太郎」と表現しましたが、想定しているのは自分のリアルタイム時代に放映していた第3シリーズ以降を想定しています。
人間のヒロインとして夢子ちゃんが出てくるシリーズですね。
ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ) – Wikipedia
”第3シリーズ(1980年代)・・・また、橋渡し的な役割として、レギュラーに人間の少女ユメコを追加しているほか・・・”
「最近のアニメの鬼太郎」は、日々悪さをする妖怪を懲らしめて回っていて忙しそうな感じですが、マンガの鬼太郎はもっとのんべんだらりとしています。
ねずみ男と似たような生活をしていて、しょっちゅう腹を空かせていますし、よく昼寝したりしている。
私がビデオで繰り返し観た「マンモスフラワー」「怪自動車」は第2シリーズで、原作マンガの空気を保っていたと思います。
実際、Wikipediaでも下記のように評されています。
風刺色や怪奇色の強い大人向け作品を取り上げたことにより、水木作品の持つピュアなエッセンスの忠実な映像化に成功した。原作の意図をよく理解したスタッフは当時の風俗や世相などを取り入れ、風刺やアイロニー、人間の業の深さなどを描き切り、他のシリーズには見受けられない強いメッセージ性と独特の深い味わいを持ったシリーズとなった。
私がゲゲゲの鬼太郎から受けた影響 「楽観」「のんびり」
水木しげるの自伝の中には、ゆっくり寝ているからだったか、ゆっくり朝食を摂っていたからだったか忘れましたが、兄達は普通に小学校に登校している中、水木少年だけは毎日遅刻して2時間目から授業を受けていた、というエピソードが出てきます。
こういうエピソードがたくさん出てくるのですが、スケールが違うな、と。
勤勉を良しとする日本社会において、そういうスタイルを貫き通すものですから、人生の各ステージで大変な苦労をされます。
ゲゲゲの鬼太郎にもそういう人生観がにじみ出ていて、ねずみ男にも鬼太郎にも、根底に「どうにかなるぜ」という楽観があって、のんきに人生を生きている。
人生とは何なのか、生きるってどういうことなのか、考えさせられる、というとおおげさなのですがね。
でも、幼少期にそういう価値観に触れていたことが自分の「ゆるゆるタスク管理」のベースになっているとは思います。
私は基本的にはマジメしか取り得の無いタイプなので、水木先生のような「身近にはいないタイプ」の描いた作品に若い間に大きな影響を受けたことは、良かったことだと思っています。
「ゲゲゲの鬼太郎」は、水木しげるという天才によりこの世にもたらされた傑作だと思っています。
昔のマンガと侮るなかれ
人気ブログ「おまえは今までスキャンした本の冊数をおぼえているのか?」の@ushigyuさんも、何度でも読み返したくなる完結済みマンガ5選のうちの一つにゲゲゲの鬼太郎を挙げています。
何度でも読み返したくなる完結済みマンガ5選 #5manga
正義感あふれる鬼太郎もいいですが、マンガ版の味のあるキャラ、絵柄の鬼太郎も面白いですよ。 …
”正義感あふれる鬼太郎もいいですが、マンガ版の味のあるキャラ、絵柄の鬼太郎も面白いですよ。”
アニメの鬼太郎しか知らない方には、ぜひ一度この水木節を感じてみていただきたい。
「フハッ」とか「タハッ」とか「ぽあー」とか、他では見かけない効果音も盛りだくさん。
水木作品はビンタの描写とかも独特で、この水木ワールドをどう伝えたらいいのか、少ない言葉ではうまく伝えられませんが、ハマるとやみつきになります。
かくいう私も、幼い頃に繰り返し繰り返し読んだ漫画は全巻そろってはおらず歯抜け状態だったので、ゲゲゲの鬼太郎シリーズですら全巻確認していなかったりします。
自伝的な作品もポツポツとしか読んでいないので、おそらく水木ファンとしては大甘の部類です。
この記事で紹介したのを契機に、少しずつ埋めていこうかな、と思いました。
真・女神転生 「正義は主観的なもの」
真・女神転生 – Wikipedia
”『真・女神転生』(しん・めがみてんせい)は、1992年10月30日にアトラスより発売されたスーパーファミコン用ソフト。”
真・女神転生との出会い
ファミ通だったか電撃なんちゃらだったか忘れましたが、ゲーム雑誌で話題になっていたので、前作のことを全然知らずに買ったゲームでした。
今にして思えば、それまでドラクエやFFしかプレイしたことがなかったのに、女神転生シリーズは3Dダンジョンだの悪魔合体だの、複雑な要素が多いゲームで、よく最後までプレイできたものだと思います。
LAWとCHAOS、NEUTRAL
女神転生シリーズには、秩序を重んじるLAW、自由と混沌を好むCHAOS、対立するそれらの中間でどちらにも属さず中立のNEUTRALの3つの属性が、思想を表す属性として設定されています。
主人公は自らの行動によってLAW、CHAOS、NEUTRALを揺れ動きながらストーリーは進んでいきます。
LAWにはメシア教という宗教(キリスト教をイメージすればだいたいOK)がついていて、CHAOSにはガイア教という宗教(こちらは仏教、神道、ヒンズー教等の多神道の宗教と右翼の過激派を合体させたような架空の宗教)がついています。
ぱっと見の正義と悪
一般的なRPGの価値観で見ると、ぱっと見はLAWが正義、CHAOSは悪、という構図に見えるわけです。
でも、このゲームが見せてくれたのは、正義に見えるものが、必ずしも唯一の正義とは限らないということ。
メシア教にはメシア教の正義があり、ガイア教にはガイア教の正義がある。
どっちかが正しくてどっちかが間違ってる、というものでもなくて、正義って主観的なものなんだな、と。
メシア教とガイア教の闘いが、キリスト教圏とイスラム教圏の争いに例えられるような単純なものではないのですが、現実の世界においてもやはり正義は主観的なものだと思います。
アメリカが言うことが常に正しいのか、イスラム過激派は単なる困った狂信者なのか、表面的に見える部分からだけではなかなか判断なんてできないんだろうな、と思います。
それぞれの立場にそれぞれの守るべきものがあり、それぞれの言い分があって、それぞれの正義があるのでしょう。
我々日本人の文化はイスラムよりはアメリカの文化に近く、なかなかイスラムの文化を理解する機会もありませんが、メディアの報道も都合の良い方面からしかなされませんし、少なくとも一方だけの言い分を聞いてわかったような気にならないように気をつけたい、と思っています。
正解なんて無い
さて、このゲームではLAWもCHAOSも正解ではないとすると、どっちにも与しないNEUTRALが正解なのでしょうか?
私は、そもそもこのゲームに正解なんて無くて「自分の一番正しいと思う道を選べ」というのがこのゲームのメッセージだと思っています。
実際、LAW、CHAOS、NEUTRAL、それぞれの道でそれぞれ別のストーリーが用意されています。
LAWルートだと中ボスだった敵が、CHAOSルートでは味方として一緒に闘ってくれたり、NEUTRALだとLAWの中ボスもCHAOSの中ボスも味方にはならず、両方と闘わなければならなくなったり。
それぞれのルートが全く別物として楽しめるようにできています。
宗教や神話に興味を持つようになった
私自身は無宗教と言ってもいいくらいの宗教観しかありませんが(世間一般の日本人の、仏教も信じているし神道も信じているというくらいの感じ)、真・女神転生をプレイしてから仏教、神道を含めた様々な宗教について知りたいと思うようになりました。
きっかけは、メシア教・ガイア教といった宗教そのものへの興味というよりは、敵や仲魔として登場する悪魔の背景として、様々な地域の様々な宗教への興味が強かったと思います。
でもそのおかげで、日本の神道や仏教、ヒンズー教のように複数の神様が崇められている多神教の宗教と、キリスト教やユダヤ教、イスラム教のように唯一神のみが神であると考えている宗教があるなど、宗教や神話について広く浅い知識を持つようになりました。
もちろん、所詮はゲームをきっかけにした好奇心レベルのものですけどね。
ただ、異なる民族、異なる宗教では、神様からして全然違うのだから、考え方も大きく違ってくるよね、と思うようになりました。
スマホでプレイできる復刻版の紹介
真・女神転生シリーズはその後も続編がいくつも出ており、そのうちのいくつかをプレイしていますが、私はこの「真・女神転生」が一番印象に残っています。
Android版の復刻版を購入して、改めてプレイしたほどです。
スマホのゲームは中断とかも柔軟にできて便利ですね。
iOS版はこちら。
寄生獣 「人間は地球にとって毒」
寄生獣との出会い
最近、実写映画化されて話題の寄生獣ですが、これは中学生か高校生くらいの時代にたまたまジャケ買いして読みました。
当時、どこかの駅かなにかの書店で、明確に暇つぶしの目的で購入し、1巻からでなく2巻でもなく3巻から買ったのを覚えています。
その時は、その後何度も読み返す本になるとは思いもしませんでしたが。
その後、もちろん買い揃えました。
人間は地球のために必要な存在なのか?
寄生獣は、人間の頭部に寄生して首から下をのっとり、人間を主食とする架空の寄生生物です。
この作品のテーマの一つとして、増え過ぎた人間、力を持ち過ぎた人間は天敵の存在によりもっと数を減らすことが必要なのでは?という問いがあると思います。
それはマンガ冒頭のナレーションにも現れています。
地球上の誰かがふと思った
『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるのだろうか…』
誰かがふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば…』引用元: 寄生獣(1)
当時、思春期の自分は自己肯定感というものが不足しており、また、地球環境の汚染等々に心を痛めていました。
自分が生き続けることと、罪のない野生生物が生きる場所を失うことと、どっちが価値のあることなんだろうか?みたいなことに悩んでいたわけです。
かといって、自ら命を絶つこともなく、悩みはしつつもどうにか大人になりました。
大人になった今は自己肯定感もそれなりにあるし、守るべきものもできて迷うことはないのですが、高校生、大学生の頃はそれなりに悩んでました(今でも悩むべきなのかもしれませんが、それはさておき)。
世間知らずで、それでも大して苦労せずに生きていられた、そういう状況がそもそもそんな悩みを生むのかな、とも思います。
全身全霊で向かわなければ生きていけないような状況だったら、きっと「自分は生きていてもいいんだろうか?」なんて思わないだろう。
編集後記
今回の記事は、誰かに何かを伝えたいというよりは、自分が語りたいことを語りたいように語ってみた記事になりました。
もちろん、興味を持ってもらえたら齧ってみてもらいたいとは思うのですが、私が若い時代に読んだからこそ印象に残った、ということもあると思います。
また、今の時代の若い人が読んでも、背景になっている時代が古いため、それが気になって楽しめないかもしれません。
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獣の奏者エリンの紹介 – 大人が読んでもハマる小説、「21世紀のハイジ」を目指したアニメ | 流れるような一日を
実は今回紹介しようと思っていたものの中に、風の谷のナウシカがありました。
ビデオについて言えば、ゲゲゲの鬼太郎よりもナウシカの方をたくさん観たと思います。
幼い頃はストーリーの深いところはよくわかってはいませんでしたが、それでも何度も繰り返し観るほど面白かったのは、宮崎駿クォリティですね。
関連記事としてエリンを挙げたのは、エリンのアニメの終盤、「ナウシカと共通するテーマがあるな」と感じる部分があったり、原作小説の終盤でもナウシカの巨神兵や王蟲の暴走を思わせる「人間に制御できない大きな力の暴走」が出てきたり。
自然への畏怖、科学の暴走への警鐘、そういうものがエリン、ナウシカの双方に共通するテーマの一つとしてあると感じます。
ナウシカを繰り返し観て何の影響を受けたのか、記事に書こうと考えたのですが、最近観たり読んだりしたエリンの影響が強く残っていてうまく言葉に直りませんでした。
というわけで、関連記事で少しだけお披露目。
コメント
こんばんは(*^^*)お疲れ様です(*^^*)坂根さんから漫画やゲームの話がでるとはなんか不思議です。私の影響受けた漫画はカイジや零ですね。いわゆる福本漫画です(*^^*)人間の欲望をよく書いてあると思います。くどいですがね笑笑
お疲れ様です。
私も一介の男子に過ぎませんから、学生の頃はゲームもしましたし、マンガも読んでました。
人とは少々好むものが違ったかもしれませんが。
読破はしてないですが、私もカイジやらアカギやら、読みましたよ。
福本マンガは好きです。