[いじめ]月報司法書士のいじめ特集が興味深い

島根の司法書士、坂根(@sakane0958)です。

月報司法書士という業界誌があってバックナンバーがWebで読めるのですが、このいじめ特集が載っている号は個人的にとても興味深く読みました。
お子さんが居る方、学校関係の方、社会問題としてのイジメ問題に興味がある方にはぜひ読んで欲しい内容でした。
印象に残ったところを引用を添えて紹介します。

月報司法書士2018年9月号表紙

↑画像をクリックすると月報司法書士のPDFダウンロードページ(月報司法書士 2018年9月号(No.559)が開きます。

基本的に堅い文章でボリュームもありますが、一番読みやすいのは4番目の探偵さんの記事です。
まずは探偵さんの話から読んでみるのが良いかもしれません。

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いじめ・学校・全体主義、そして有害閉鎖空間設定責任

(明治大学文学部准教授 内藤朝雄)
いじめ・学校・全体主義、そして有害閉鎖空間設定責任 (明治大学文学部准教授 内藤朝雄)
↑見出しか画像をクリックすると画像記事のPDF(いじめ・学校・全体主義、そして有害閉鎖空間設定責任 (明治大学文学部准教授 内藤朝雄))に飛びます。

人間集団の中で起きているイジメを研究している社会学者 内藤朝雄氏による寄稿。
学校という閉鎖空間で、対人距離をとることを許されない環境を強制されることが大きな問題であると問題提起しています。

全体的に堅い話が続く上にボリュームもある(他の寄稿者は6,7ページのところ13ページ)ので読むのはしんどいですが、事例が紹介されているところは身近で共感しやすいので、まずはそこをつまみ食いしてから少しずつ全体を把握するのもアリだと思います。

響き合う群れのノリ

【事例1・うつっちゃう】 「人数が多いってことは、安心する、みたいなんで。一回いじめたら、止められないっていうか、何か暴走してしまうっていうかな」「友だちに、『あの人嫌い』って言われると、何かそれ、うつっちゃうんですよ」(NHK スペシャル、1995年10月1日放映)

人々は常識的に、〈私〉は自他の境界を有し、主体的に外界に対して選択判断する自己であり、何者かが自他境界をすり抜けて内部に侵入し、私がこのように私であることを「させられ」ているというようなことはありえない、と思って生きている。
だが、上記のインタビュー発言は、あたかも何かに寄生され、別の存在にさせられ、動かされているかのように、響き合う群れの場の情報(みんなのノリ、空気、雰囲気、ムード、勢い)が個をとびこえて貫入し、内的存在様式が変化させられ動かされる事態を示している。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P7-8

大人であっても、場の流れが覆せない流れになってしまうことはあります。人生経験が短い学生はなおさらでしょうね。
まず、そういうことがある、ということを大人も子どもも知っておくことが自衛のためにまず大切なことだと思います。

いじめの渦中では「ノリ」が人命に優先する?

ノリが規範の準拠点として突出しているとき、たまたま「いま・ここ」で感情共振的に「かかわりあう」ノリに比して、人の命が虫けら扱いされうることは、あまり理解されていない。
また、神や王との位置関係によって身分が生じうることはよく理解されているが、畏怖の対象となったノリに位置づけられて身分が生じうることは、よく理解されているとは言いがたい。
私たちの目には陰惨で残酷に、そして奇妙にうつるさまざまな現象は、ノリが規範の準拠点になった秩序、あるいは「仲間うちの勢いづいた力が絶対」「ノリは神聖にして侵すべからず」の秩序という観点から、明晰に理解することができる。
この秩序には固有の「よい-わるい」がある。「よい」とはノリにかなっていることだ。「浮いている」者、「空気」を読めない者は「わるい」。「いま・ここ」の気持ちで響き合う頭越しに、上からの目線で「人の命は尊い」とするような普遍性、つまり人間の尊厳や人権といった普遍的な理念は「わるい」。
ノリが規範の準拠点となったノリの秩序のなかで、いじめ加害者たちは、自分たちの秩序感覚にのっとって、「ただしく」被害者を虫けら扱いして遊ぶ。いじめは、その時その時の「みんな」の気持ちが動いて生じた「よい」ことだ。加害者たちは、被害者の悲痛と恥辱を笑いさざめく祭りの祭具とし、自分たちのノリの世界をにぎやかに生み出しつづける。人が死んだり、死ぬ可能性があったりした場合でも、生徒たちは喝采したり、堂々と「遊んだだけ」と言ったりすることがある。ここで「遊んだだけ」と言う時の遊びは、自分たちのノリの秩序に従いながら、ノリを次々と生み出す重要な、自分たちの世界を生み出す営為だ。仲間の遊びに逆らうことは強いタブーであり、みんなの遊びであればすべては許される。ノリの秩序が突出した局面では、遊びは時に被害者の命よりも重い。
(中略)
ありふれた家庭出身の、ありふれた学校でありふれた集団生活を送るいじめ加害者たちが、被害者が自殺した後に、その死を軽く見る言動、自殺した生徒を虫けら扱いするような言動、さらに他の生徒を遊びながらいじめるといった言動をみせることが、しばしば報道される。彼らは、いじめ被害者が自殺し、自分たちの狭い世界を超えた社会全体の最高価値(人間の尊厳)を破壊したとして、マス・メディアを通じて日本中から包囲され、否定的に注視されることもある。しかし、このような状態にあってもなお、彼らは自分たちの秩序に自信をもって、ノリを人命に優先させる。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P8-9

ノリが人命に優先する局面、想像するだに恐ろしい話だけれども、実際に教室で起こっていることだろうとも思います。そしてイジメの加害者達が全然反省していない様子で被害者の死を軽視する様子もしばしば見受けられることです。
それが自分とは違う異常な人間だから反省しないのか、はたまた「ありふれた家庭出身の、ありふれた学校でありふれた集団生活を送る」人間であってもそういう行動を取りうるのか。事実を見誤ると、対応も間違ったものになります。

表情罪・態度罪とでも言うべき罪

ノリは規範の準拠点になっているのだから、この位置価(身分秩序)にそぐわないことは罰せられるべき罪となる。例えば、いじめ被害者が教室の片隅で、あたかも自尊心をもっているかのように楽しそうに微笑んでいるのを見かけただけで、いじめグループは「許せない」と憤慨する。この「許せない」は、不正を犯した者に対する憤慨の言葉である。いじめ被害者が自尊心をもっているかのような態度を示したり、幸福そうに振る舞ったりすることは、ノリを共に生きる位置価(身分)の形によって繊細に編み上げられている「友だち」の共同世界を破壊する許しがたい罪である。この罪は、自分たちの秩序においては、「表情罪」「態度罪」とも言うべき罪である。こういう「わるい」者には「焼きを入れ」なければならない。自分たちの小世界のなかの身分秩序にそぐわない態度を「とられた」ことに対して、ここではノリの秩序にもとづく「正義」が生じている。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P9

仮にそんな場にいじめ被害者としていなければならないとしたら地獄だと思うし、もし自分の子どもがそういう目に遭っていると仮定したら、腸が煮えくりかえる。
しかし、これも各地の教室で実際に今日も繰り返されていることなんだろうと想像ができる。
そんなことが起こり得る環境に、日々自分の子供達を送り出している日本の現状は何かが狂っているのかもしれない。

内的モードがごっそり切り替わる「フシギな気持ちです」

このようなとき、人々はしばしば利害計算の値に反応していると同時に、夢から醒めるように、内的モードがごっそりと別のタイプに切り替わっている。以下の事例で、集団一辺倒の学校生活から脱した卒業生(19歳女性)は、まるで夢を見ていたかのように、いじめにふけっていた時期を回想している。彼女は、被害者を自殺未遂にまで追い詰めていた。

【事例2・フシギな気持ちです】「私たちにはホンの少しも罪の意識はなかった。それどころか、いじめる楽しみで学校に通っていたような面さえありました。冷たいようですが、“かわいそう”と思ったことは一度もありませんでした。/もちろん、今では当時のことを深く反省しています。クラスの他のみんなも私と同じ気持ちでしょう。“なんであんなことをやったんだろう”とフシギな気持ちです」。(土屋守監修、週刊少年ジャンプ編集部編,1995)

学校で群れの生活を送っているときと、市民としての日々を送っているときとでは、生きている現実感覚が激変しており、そのことが当人にもよく理解できていない。ただ、自分が変わったとしか意識できない。「フシギな気持ちです」としか言いようがない。制度的環境が変われば、生態学的に優勢となる心理―社会的な秩序のタイプが変わり、群れの残酷は「あれは何だったのか?」と思えるようなしかたで、夢のように消えてしまうのである。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P10

傍から見ると盗人猛々しいというかイジメの加害者が好き勝手なことを抜かすな、という想いが最初に来ます。しかし、これもまた日本の学校で現実に起きていることであろうと感じます。
学校という「場」に問題があると筆者である内藤朝雄氏は主張します。閉鎖空間に子供達を閉じ込め、強制的に密着させることで一人の個人を群れの人に変化させる。市民社会では許されることが許されず、市民社会では犯罪であることが教育の名の下にまかり通る。

学校に法を入れること、有害閉鎖空間設定責任

3-2-1・学校に法を入れること

学校という閉鎖空間に法が入ることはきわめて重要である。
法の働きは、①利害構造を変化させるのみならず、②今いる場がどのようなタイプの秩序の場であるのか、何が社会の現実であるかのスイッチを、学校の全体主義秩序から市民社会の秩序へと切りかえる解除キーの働きをする。有害な学校のコスモロジーを雲散霧消させる法の働きについては、拙著(内藤,2009)で詳しく論じた。

3-2-2・有害閉鎖空間設定責任

学校で重大な結果を引き起こした嗜虐的迫害では次のようなケースが多い。学校で集団生活を送りさえしなければ、加害者は他人を虫けらのようにいたぶる怪物にならなかったはずだし、被害者は精神を壊された残骸や自殺遺体にならずにすんだはずだ。
この有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ。それならば、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任がある。
筆者はここで、国や地方公共団体の有害閉鎖空間設定責任という概念を提出する。
法律関係者には、いじめ関連裁判等のための、有害閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることを期待する。この責任概念が法曹関係で効いてくると、日本の学校が改善され、子どもたちの苦しみを減らすことができるかもしれない。
この数十年に重大な被害を受けた被害者や遺族たちが原告団を結成し、国と地方公共団体を被告として、有害閉鎖空間設定責任を問う裁判を起こすことを提案する。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P16

市民社会において犯罪に該当するような行為が教育の名の下に見逃されるようなことがあってはならず、今回月報司法書士にこの寄稿が載ったのも、司法書士に”何が社会の現実であるかのスイッチ””学校の全体主義秩序から市民社会の秩序へと切りかえる解除キー”の役割の一端を担うことが期待されているからであろうと感じました。
後半の有害閉鎖空間設定責任について、現在の「学校」の仕組みが継続して加害者、被害者を生み出し続けてきたのは事実だと思います。特に義務教育の逃げ場も選択肢も無い状況は、仕組み的に大きな改善が必要と感じます。

関連情報(いじめ・学校・全体主義、そして有害閉鎖空間設定責任)

現代ビジネス

現代ビジネスに内藤朝雄氏の連載があり、文章が月報司法書士への寄稿よりも短めに切ってあり、内容も一般の人向けに寄っています。
内容的には月報司法書士と重複する内容も多くあり、また月報司法書士掲載後に投稿された新しいトピックも載っているので、そちらを読んで見るのも良いと思います。特にスマホで読む場合、月報司法書士のPDFを下がったり上がったりしながら読むのはしんどいですから。

「現代ビジネス」は、第一線で活躍するビジネスパーソン、マネジメント層に向けて、プロフェッショナルの分析に基づいた記事を届ける新創刊メディアです。政治、経済からライフスタイルまで、ネットの特性を最大限にいかした新しい時代のジャーナリズムの可能性を追及します。

連載を最初から順に読むなら「日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由」からどうぞ。

なお、月報司法書士の寄稿の中で「組み体操の散華」というYoutube動画が紹介されていますが、記載されているURLを入力してみても現在は動画が閲覧できません。
下記の現代ビジネスの記事には閲覧できるYoutube動画が貼ってあったので、↓こちらから見ると良いです。

なぜ「いじめ自殺」が後を絶たないのか? 「教育」なら何でも許されていいのか? いじめ研究の第一人者が、大反響となった「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする『異常な論理』」につづき、茨城県取手市・中3女子自殺事件の核心に迫る。

書籍 いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか

寄稿の最後に「いじめのしくみについてより詳しくは拙著(内藤,2009)を参照されたい。」と紹介されているのは下記の書籍です。
Kindle版が無いので私の中で読むのが後回しになっていますが、近いうちに読んで見ようと思っています。

いじめ防止対策推進法をどう捉えるか ―学校、教職員に求められているもの―

(日本女子大学教職教育開発センター教授 坂田仰)
いじめ防止対策推進法をどう捉えるか ―学校、教職員に求められているもの―(日本女子大学教職教育開発センター教授 坂田仰)

いじめ防止対策推進法という法律があります。その制定経緯と解説、今後の課題などが論じられています。

いじめの定義

いじめ防止対策推進法は、いじめを「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」と定義している(第2条第1項)

(中略)

現行の定義では、一定の関係性、物理的又は心理的影響を与える行為、そして対象となっている児童等が苦痛を感じていること、この三つの要件を満たせばいじめに該当する。どんないじめも見逃さないという観点に立ち、極めて低いハードルが設定されていると言える。
にもかかわらず、いじめの認知件数がゼロの学校や都道府県格差が存在することは、先の総務省勧告が指摘している通り、旧定義に存在した、「一方的に」「継続的に」「深刻な」といった要素を取り入れ、いじめ防止対策推進法の定義を限定的に解釈している例が後を絶たないことの表れと見るべきである。その意味において、同法が示すいじめの定義を学校現場に浸透させ、教職員の意識改革を進めていくことが急務となる。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P18-19

教職員にとっては、自分のクラスにいじめは無い方が望ましい。学校にとってもそう。
そんな教職員や学校に、善意の自己犠牲でいじめ報告を上げてもらおう、という考え方がそもそも性善説過ぎるのではないかと思います。
この仕組みを作った人には「利益相反」て聞いたことありますか?と問いたい。
(個々の教師の倫理感が足りないという話がしたいわけではなく、制度設計がおかしいという話。中立的な立ち位置の何かが必要なのではないでしょうか。)

「いじめが疑われた段階」で報告義務が有る

学校は、「当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずるとともに、その結果を当該学校の設置者に報告する」ことが求められる(第23条第2項)。早期発見という観点から「いじめを受けていると思われる」段階で事実確認を行うのみならず、その結果を学校の設置者(公立学校の場合は教育委員会)に報告することまで求められている点に留意する必要がある。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P20

いじめが疑われた段階で学校内でその情報を共有するのみならず、教育委員会にまで報告義務があることは知りませんでした。
でも、当事者の教職員にとってこの報告はハードル高いんだろうと思います。そして教育委員会もこの報告を受け取りたがらないのでしょう。
易きに流れるのは人の性だと思います。教職員・学校と教育委員会の関係はよく「身内に甘い」と言われますが、このうまく回っていないシステム(特にイジメ問題について)は変えるべき時期に来ている気がします。

被害児童の側に立ち、加害児童に毅然とした対応をとる

ここで重要となるのは、いじめの被害を受けた児童等とその保護者には「支援」、加害児童等には「指導」、そして加害児童等の保護者には「助言」と、文言が使い分けられていることである)。その背景には、いじめ問題の駆逐に向けて、いじめに苦しむ被害者の側に徹底して寄り添うという姿勢が存在している。この考え方の下、仮にいじめが生じた原因の一端が被害児童等の側にあったとしても、被害児童等を「支援」する姿勢を貫くとともに、加害児童等に対してはいじめは絶対に許されるべきではないとする「指導」の徹底、いわゆる「毅然とした指導」が求められることになる。
すなわち、被害児童等の支援という観点から、学校は、「いじめを行った児童等についていじめを受けた児童等が使用する教室以外の場所において学習を行わせる等いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を講ずる」ことである(第23条第4項)。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P21

被害児童が泣き寝入り的に休学したりするのでなく、本来的には加害児童の側が指導を受け、別の教室に隔離されるべき。
大人が毅然とした態度で筋をとおすことによって、それがいじめを抑圧していく力として作用するでしょう。

警察との連携

そして、警察との連携である。いじめは、暴行、脅迫、傷害、強制わいせつ、強要、窃盗、恐喝、器物損壊等、行為の態様によって刑罰法規に抵触する可能性が存在する。一般社会で許されない行為は、当然、学校においても許されない。この観点の下、学校は、「いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるときは所轄警察署と連携してこれに対処するものとし、当該学校に在籍する児童等の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるおそれがあるときは直ちに所轄警察署に通報し、適切に、援助を求めなければならない」(第23条第6項)。
条文上明らかなように、ここでは「連携」と「通報」の二つのパターンが想定されている。連携は、学校と警察が相互に協力し、いじめ問題の解決にむけて取り組む趣旨と考えられている。これに対し、通報は、児童等の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるおそれがあるといった切迫した状況が前提となっている。そのため、学校は、直ちに警察に通報し、適切に援助を求めることが義務づけられていると見るべきであろう。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P21

いじめがエスカレートしていくと、犯罪相当になることもあります。
学校にとっては加害児童も自分達の教え子の一人であるし、学校の汚点と捉えられる世間の目もあろうし、なかなか警察沙汰にはしたくないのが本音だと思いますが、毅然と線引きをすることが被害児童はもちろん、加害児童にとっても救いとなるはずです。

いじめ予防と弁護士の役割 ―いじめは「夢を追い、幸せになること」を奪う―

(大阪弁護士会所属 弁護士 横山巌)
いじめ予防と弁護士の役割 ―いじめは「夢を追い、幸せになること」を奪う― (大阪弁護士会所属 弁護士 横山巌)

大津市立中学校におけるいじめに関する第三者調査委員会の委員長を務めた弁護士さんの寄稿。

「いじめられる側にも問題がある」という考え方は根本的に誤っている

いじめ問題において、いじめられる側に、いじめられる原因はある、いじめられる側はいじめられても仕方がないと考えるべきなのであろうか。この点については、断言する。いじめられる側にいじめられても仕方がない、いじめられる原因がある、ということは絶対にあり得ない。
いじめは人権侵害である。どんなことがあっても、人権が侵害されてよいという理由などあり得ない
(中略)
教員研修の場で教員と話をすると、いじめられる側にも問題があるという考えを持っている方に出会う。しかし、その考えは根本的に修正を要するものである。いじめられる側に問題があるという視点では、いじめを見つけること、いじめが深刻化していくことを見抜くことはできない。かえって、教員によるいじめであると捉えられかねない事態を引き起こすことを念頭に置いておくべきである。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P27

いじめられる側に問題があるとする方が、多分楽でしょう。
でも大人は「それを許さない」という毅然とした姿勢を取らなければならない。
「いじめの加害者」となることは圧倒的に自分の立場を悪くする損な行為だということを大人は行動で示す必要があるし、見つからないようにやればよいというやり得も大人には通用しないことをしっかりと示す必要があります。

ロールプレイ授業:傍観者から仲裁者へ

ロールプレイの実践は、大阪弁護士会特有の授業形態であると思う。
授業では、生徒に、いじめる側、いじめられる側の役を担ってもらい、次のようなシナリオでいじめの疑似体験をしてもらっている。
いじめ役のAが、「あんたなんか嫌い。あっち行って。」とBに言葉を投げかける。一方のBには、以下の3つのパターンを演じてもらう。
①  「私もあんたなんか嫌い。あんたこそあっち行って。」と言い返す。
② 泣く。
③ 誤魔化し笑いをする。
これらの体験を通して、役割を演じてくれた人には、それぞれの気持ちを感じてもらう。また、このロールプレイの参加者は、A、Bだけではない。真の主人公は、その他大勢の傍観しているクラスメートである。周囲で見ている人は、①ないし③をどのように受け止めたのか。①は喧嘩だけど、②、③はいじめ、でも③はいじめではないかな、など、いろいろな意見が出る。しかし、単に見ていて評価をするだけでいいのか?私からは、「教室内で起こっていることなのに、みんなはただ見ているだけなの。何か行動できないの?」と問い掛けをし、さらにロールプレイを続ける。
周囲の生徒たちは、頭では分かっているものの、行動に移すことができない。「止められなくても何かできないかなあ。」と問うてみる。そうすると、いじめられている人に駆け寄り、「大丈夫?」と声を掛ける、いじめている人に「どうしたの?」と問いかけて状況を変えるなどの行動に出る。傍観者から仲裁者へ。頭で考えるだけでなく、思ったことを行動に移すようになる。実際にやってみて、そのときの思いを心に留めてもらう。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P27-28

ロールプレイングであっても、実際に行動してみたことは大きな一歩に繋がると思います。
これまで傍観者でいることが当たり前だった自分に、果たすべき役割が責任が生じるでしょう。自信や自己肯定感にも繋がるでしょう。クラスの「イジメNo」の雰囲気も強くなると思います。

いじめ解決の現場から

(特定非営利活動法人ユース・ガーディアン代表理事、T.I.U. 総合探偵社代表 阿部泰尚)
いじめ解決の現場から (特定非営利活動法人ユース・ガーディアン代表理事、T.I.U. 総合探偵社代表 阿部泰尚)

個人的にはこの探偵さんの寄稿が一番読みやすかったし、目から鱗の内容でした。
ぜひこの寄稿だけでも多くの人に目を通して欲しい。ぜひ。

探偵によるいじめの解決

私は多くのケースで2つのメッセージを発信する。1つ目は、今、自分はやっていないと言い張っても、必ずボロが出るということ。どこかで何かを触れば指紋が採取できるし、誰も見ていないところで行為をしたのであれば、それは自分が加害者でないことを証明してくれる友人はいないということを意味している。だから、必ず誰かはわかってしまうということ。2つ目は、今、「これはいじめだからやめなさい。」と止めてあげなければ、いつかまた過ちを犯してしまうかもしれないし、今がそれを止める教育のチャンスだということ。こうしたメッセージは情報が漏れることを想定して敢えて発信している。つまり、調査をしていることが発覚することまでも想定しながら、私は証言の収集や情報提供を受け続けるのだ。これは実際のところ、加害行為をした者には大きな精神的な圧力をかけることになるが、それと同時に情報提供に応じた者やそれに賛同する者は、いじめの加害行為に敏感になり、いじめについて「NO」という意識が高くなる。この意識こそが、よく子ども達が言うクラスを取り巻く「空気」であり、この空気が、「いじめNO」になっていくことで、いじめの加害行為をしている者へ見えない圧力を加えることになる。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P32-33

学校や先生としては、クラスのみんなが仲良くしている状態が望ましい状態であって、イジメが発生して今も継続しているという状況は非常に都合が悪いことだと思います。
できることなら「見なかったことにしたい」問題でしょう。
被害児童側と学校の利益が相反する状況なので、とても難しい問題だと感じます。
隠蔽の方向に動いてしまう学校が多いのも状況としてはよくわかる(良い悪いは別として)。

そういう環境になってしまっているので、この探偵さんのように学校からも当事者からも離れた第三者が動ける存在があることは状況の打開に重要な役割を果たすと思います。

この探偵さんのように覚悟を持って、「いじめを続けることを許さない」という大人の存在が必要なのだと思います。
そして、大人が断固としてイジメを阻止してくれることは、いじめの加害者にとっても救いになります。

大人の適切な対応で加害者を更正させることはできる

調査対策が進んでくると、加害者は不利になっていく。なぜなら、彼らが過去にしたことは消せないし、調査を妨害することもできない。私の調査活動は、学校教員と保護者の関係性のように、保護者が圧力をかけることはできないし、外部的要因で中止させることもできない。一方で、私の調査活動は、いじめが起きやすいクラスの環境を変えてしまったり、情報提供者の意識が変わったりするといった影響を与えることができる。
つまり、私の周囲が加害者らによって何か変わるということはないが、加害者を取り巻く環境は私の活動によってどんどん変えられてしまうのだ。さらに、その場から抜け出すことはできないから、いわゆる捜査の手がどんどん自分に迫ってくるような感覚にとらわれる。
多くのケースで、加害者は学校教員か保護者に自白をする。自白をしたとき、彼らの多くは、二度と同じようなことはしないと心に誓っていることが多い。もの隠しやもの壊し、もの汚しなどのいじめはとても多いと言えるが、誰がやったかがわからないと、誰を指導してよいかわからず、結果的に放置されてしまう事例も少なくない。被害を受けた者、その保護者のみならずことの成り行きを見守っていた傍観者らは、やった者勝ちの結果を見て、学校や担任教員への不信感しか持たない。やられた方が損だと思えば、被害側に肩入れすると損をする側にまわるのだと思ってしまう。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P33

いじめ加害者がモンスターのような異常者ではなく、「ありふれた家庭出身の、ありふれた学校でありふれた集団生活を送る」学生だとすると、こうして追い詰められていく気持ちはもう二度と味わいたくないに違いない。
日本の学校で起きている多くのイジメがこのような形できちんと片が付き、イジメに対して「No」示せる強靱なクラスになっていくことを切に願います。

大人たちが傍観者層へどんなメッセージを伝えられるか

いじめ問題で見落とされがちだが、実は最も重要な存在とも言える傍観者層に当たる子どもたちに、いじめが起きづらい空気にするのもいじめが常態化する空気にするのも、実は君たちが本音の部分でどう考えるかに左右されるのだと伝えている。いじめは予防活動の方がやりやすいし、計画も立てやすいから、予防の方が重要だという教育関係者は多いが、単なるいじめはいけないよというだけの予防活動は、成果を上げることはできない。それはいじめの発生件数や悲しいいじめ自殺報道が証明してくれているだろう。いじめの最大の予防は、起きてしまういじめにどう対処し、どう対応するか、学級担任をはじめとする大人たちがどのような態度でいじめに臨むかなのである。

月報司法書士 2018年9月号(No.559)P35

人生経験が短い未成年である学生の間で、やはりイジメそのものは無くならないと私も思います。
どうしても起きてしまうであろうイジメに対して、大人の初期消火と毅然とした態度が重要だと感じます。

関連情報(いじめ解決の現場から)

いじめSOS 特定非営利活動法人 ユース・ガーディアン

この探偵さんが代表を務めるNPO法人のサイト↓

ユース・ガーディアンは、いじめの解決を支援をする専門集団です。4000件以上のいじめの相談を受け、解決の支援をしてきました。完全無償対応なので 、ひとりで悩まずご相談ください。

事例の蓄積はとてもたくさんありそうです。
ただ、相談が多数寄せられていて対応する人員にも限りがあり、また原則無償対応のようですので、相談する前にHPの注意をよく呼んでから相談されるのが良いと思います。

書籍 いじめと探偵

この探偵さんの書いた本↓

この本には月報司法書士の寄稿記事以上に詳しい事例が載っています。
イジメの報道なんかを目にする度に、私達は極悪非道ないじめっ子が血も涙も無いイジメを行ったのであり、そのような異端分子を排除していけばイジメは無くなる、と思ってしまいがちですが、実はそうではない。
この本の中に出てくるイジメの加害者の像も、このことを裏付けています。
しかし大人が毅然とした態度で正しい対応をすることができれば、加害児童は基本的にはイジメを繰り返すことは無い、ということは救いに感じます。

編集後記

自分が学生だった頃にはイジメにびくびくしながら学生生活を送っていましたが、たまたま深刻なイジメに苛まれることもなく大人になることができました。ただこれは単純に運が良かっただけで、今思い返してもゾッとする話です。
我が家の子供達も未だ似たような環境で学生生活を送っていることを考えると、何とも言えない気持ちになります。
イジメの構造について社会科学的に様々なことがわかってきているのだから、次の世代にはもっと良い環境を用意してあげたい。

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[読書]Kindle読み上げによる乱読が楽しい

「ちょっと読むのが面倒臭いな」と思ってしまう本や文章は、iPhoneの読み上げ機能を使って読むようにしています。
月報司法書士を読み上げさせるにはひと手間要りましたが、それを乗り越えれば楽に一通り内容を把握することができるし、目も疲れない。運転中に流し聞きすることもできる。
かなりの集中が発生している状況でない限り、活字を読むと3分くらいで眠くなる体質なので、このやり方を見つけてから本当に助かっていて、みんなももっと活用すればいいのに、と心から思っています。
活字を目で読むと、一字一句頭の中で読み上げるように進むか、ザッと読み飛ばしたくなってしまうか、どっちかに振れてしまうことが多くて、意外と適切な速度で読めないんですよね。
一字一句読み上げるように読んでいくと、字面だけが流れて頭に入ってこないこととかもよくあります。司法書士試験の勉強方法として、私はアウトプット寄りの勉強方法をメインに据えていましたが、そういう体質的な事情もありました。

PDFは右クリックでWORDにできる(Word2013以降)

この月報司法書士もPDFからWordに落とせば、必要なところだけ切り出したり、Kindle読み上げに適した形に整形したり、いろいろできるので便利です。

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